真田信弘
プロフィール
読み仮名
さなだ のぶひろ
生没
1670(寛文10)年12月12日~1736(元文元)年12月27日 67才
出生
真田信就の七男(六男説有り)。母は小野氏(祥福院)
別名
六郎
叙任
蔵人、出羽守(1704(宝永元)年12月11日)、伊豆守(1727(享保12)年7月19日)、弾正忠(1730(享保15)年7月22日)
移籍
旗本である真田(勘解由)氏から松代藩主である真田幸道の養子になる。
法名
乾徳院殿龍嶽一雲大居士
正室:清岸院(松平頼純の娘)、側室:冷厳院(冷台院とも、藤田氏の娘)、智岸院(美和、前田氏の娘)
子供
長男:幸詮(ゆきあきら、早世)、次男:俊峯(としみね)、三男:重信(しげのぶ)、四男:信安(松代5代)、五男:忠盈(ただみつ)、六男:不詳、七男:不詳
長女:貞徳院、次女:陽泉院、三女:不詳
子供は7男3女
長国寺(長野県長野市松代町)に信弘の霊屋あり。
備考
松代4代 1727(享保12)年7月12日就任~1736(元文元)12月27日逝去 約10年間
沿革
真田信弘の沿革

実父である真田信就は、松代2代藩主の真田信政と小野宗鑑尼間で、信政の長男として生まれました。

信弘は、1670(寛文10)12月12日に信就の七男として生まれました。
旗本である真田信親(信幸や信繁の弟である昌親の息子)の養子になって家督(2千石)を継ぎました。

松代3代藩主の真田幸道の長男である源治郎(幸道の息子)が幼くして亡くなったため、信弘が松代藩の家督を継ぐことになり、1703(元禄12)年に幸道の養子になりました。
1727(享保12)年に真田幸道が亡くなったため、信弘が松代藩を継ぎ4代藩主になりました。

信弘が松代藩を継いだ頃は藩の財政が著しく悪化しており、屋敷内を照らす照明用の油の購入代金の確保さえも苦労する程でした。信弘は財政の建て直しを図るために、塩野儀兵衛を家老職勝手掛に登用しました。財政改革が成功して信広の晩年の頃には3万両の蓄えがあったようです。

信弘は約10年間を藩主として過ごし、1736(元文元)年12月27日、松代にて亡くなりました。(信弘享年67才)
長谷寺に葬られ、その後、信弘の菩提を弔うために乾徳寺が建てられました。
長野県長野市松代町の長国寺に信弘の霊屋があります。

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