小野通
プロフィール
読み仮名
おの つう
生没
1567(永禄10)年~1631(寛永8)年10月 享年65才
(1559(永禄2)年~1616(元和2)年3月5日 享年58才の説も有り)
出生
 
別名
小野お通(おのの おつう、おの おつう)
移籍
 
信之(側室として)?
子供
長女:小野宗鑑尼(小野図子)
 
備考
信之の側室説があるが、友人説も有り、特定できず。
沿革
小野通の経歴

1567(永禄10)年頃、小野お通は美濃国北方に領地を持っていた小野氏の娘として生まれました。

織田氏家臣である塩川伯耆守と結婚しましたが、本能寺の変で織田信長や森蘭丸長定らとともに討ち死にしました。
その後、渡瀬羽林(わたせ うりん)と再婚しました。

1622(元和8)年、上田藩主である真田信之から松代移封についての手紙を送られており、信之との親交が深かったとされています。友人だった可能性が高いのですが、事実上の側室だった可能性も指摘されています。

お通は晩年、信之の次男信政の側室になった長女図子を頼りました。

1631(寛永8)年10月、小野お通が亡くなりました。(小野お通 享年65才)

小野通の多彩な才能と人脈の真偽

織田信長・豊臣秀吉や皇族などにも仕え、琴や書道に秀でていて、「浄瑠璃姫物語」の作者であると言う伝承があります。しかし、これは架空の人物であるとか、複数の人物の情報が合わさったものであると言う説 がありました。
「浄瑠璃姫物語」は、お通の時代よりも以前に流行していたことが、江戸時代後期に柳亭種彦(りゅうてい たねひこ)によって確認されています。

昭和時代になって「真田勘解由家文書」が分析された結果、小野お通が実在したことや、これまでの伝承は誤りが多いことが判明しました。

作家吉川英治の「宮本武蔵」に登場する「お通」は、小野お通がモデルだと言われています。

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