真田信重
プロフィール
読み仮名
さなだ のぶしげ
生没
1599(慶長4)年~1647(正保4)年2月23日 享年49才
出生
真田信之の三男。母は小松殿(信之正室)。
別名
隼人正
官位
不詳
正室:鳥居忠政の娘
子供
不詳
勝願寺(埼玉県鴻巣市本町8丁目2-31)、西楽寺(長野県長野市松代町西条)霊屋がある。
常福寺(長野県長野市風間)に位牌。
備考
埴科藩(松代藩の支藩)の藩主 着任と離任の時期は不詳
沿革
真田信重の経歴

1599(慶長4)年、真田信重は沼田城で真田信之の三男として生まれました。母は信之正室である小松です

1622年、父信之が上田から松代に移封された事にともない、一緒に松代に移りました。

信之は松代藩内に支藩として埴科藩1万石をもうけ、それを次男信政に与えました。

その時、信重には7千石が与えられました。

父信之から沼田藩を任されていた長男信吉が亡くなったため、信吉長男の熊之助が4才で継ぎました。しかし、1638(寛永15)年11月6日、その熊之助も7才の若さで亡くなったため、翌年の1639(寛永16)年に信政が沼田4代藩主になりました。
信重は、埴科藩を兄信政から継ぎ、これまでの領地と合わせて1万7千石の埴科藩2代藩主になりました。

信重は相撲や鷹狩りが好きで、これらに関した逸話が伝わっているようです。

1647(正保4)年2月23日、信重は武蔵国鴻巣で亡くなりました。(信重享年49才)

信重には子供がいなかったため、埴科藩は廃絶され、領地は松代藩に返還されることになりました。埴科藩は25年で幕を閉じました。

埼玉県鴻巣市にある勝願寺には母小松殿の墓と並んで、信重夫妻の墓があります。

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