真田氏歴代藩主

真田氏が統治した4藩の歴代藩主を掲載しています。
4藩のうち、埴科藩は松代藩の分封藩(支藩)です。
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上田真田歴代藩主
1585(天正13)年頃~1568(永禄11)年
約37年間
(関ヶ原合戦直後の一時期、徳川氏主導で上田城の破壊などが行われた。)
沼田真田歴代藩主
1580(天正8)年~1681(元和元)年
約101年間
松代真田歴代藩主
1622(元和8)年~1871(明治4)年
約249年間
真田埴科歴代藩主(松代藩の分封藩(支藩))
開藩時期不詳(1622年以後)~1647(正保4)年

上田真田歴代藩主

上田支配期間 1585(天正13)年頃に上田城完成~1622(元和8)年 約37年間
着退任年・在職期間
名前
生没年・享年
備考
初代
城主
1585(天正13)年
~1600(慶長5)年12月
約15年間
真田昌幸
さなだ まさゆき
1547(天文16)
~1611(慶長16)
65才
真田幸隆三男
上田城築城者
築城当初はまだ徳川政権時代ではなかったため、城主であって藩主ではない。
初代
1601(慶長6)年
~1622(元和8)年 10月
約22年間

真田信之(信幸)
さなだ のぶゆき

1566(永禄9)
~1658(万治元)年10月17日
93才

真田昌幸長男
前は沼田初代城主
後に松代初代藩主

沼田真田歴代藩主

沼田支配期間 1580(天正8)年に昌幸が沼田城を攻略~1681(元和元)年 約101年間
1580(天正8)年~1590(天正18)年については、昌幸の伯父である矢沢頼綱らが城代を努めていたと考えられる。
1582(天正10)年の数ヶ月に満たない間は、織田信長の重臣である滝川一益に明け渡していたが、本能寺の変直後に奪還している。
着退任年・在職期間
名前
生没年・享年
備考
初代
1590(天正18)年08月25日
~1616(元和2)
約26年間

真田信之(信幸)
さなだ のぶゆき

1566(永禄9)年
~1658(万治元)年10月17日
享年93才

後に上田真田2代、
松代初代

1616(元和2)
~1634(寛永11)年11月28日
約19年間

真田信吉
さなだ のぶよし

1593(永禄2)~
1634(寛永11)年11月28日
42才

母は側室で不詳

1635(寛永12)12月5日
~1638(寛永15)11月6日
約2年11ヵ月間
真田熊之助
さなだ くまのすけ
1632(寛永9)年5月~
1638(寛永15)年11月6日
7才

母は松仙院

1639(寛永16)年7月25日
~1657(明暦3)8月
約18年間
真田信政
さなだ のぶまさ

1597(慶長2)年11月~
1658(明暦4)年2月5日
62才

母は正室小松殿
前は埴科初代
後に松代2代

1657(明暦3)9月
~1681(天和元)11月22日
約24年2ヵ月間
真田信利
さなだ のぶとし
1635(寛永12)年~
1688(貞享5)1月16日
54才

両国橋建設遅延問題と沼田藩での悪政の責任を問われ改易

松代真田歴代藩主

松代支配期間 1622(元和8)年~1871(明治4)年 約249年間
着退任年・在職期間
名前
生没年・享年
備考
初代

1622(元和8)年
~1658(万治元)年
約37年間

真田信之(信幸)
さなだ のぶゆき

1566(永禄9)年
~1658(万治元)年10月17日
93才

前々に沼田初代
前に上田2代

1657(明暦3)年~
1658(万治元)年
約1年間
真田信政
さなだ のぶまさ

1597(慶長2)年11月
~1658(明暦4)年2月5日
62才

母は正室 小松殿
前は埴科初代、
沼田4代

1658(万治元)年
~1727(享保12)年
約70年間
真田幸道
さなだ ゆきみち
1657(明暦3)年
~1727(享保12)年
71才

真田信政 六男

1727(享保12)年
~1736(元文元)年
約10年間
真田信弘
さなだ のぶひろ
1670(寛文10)年
~1736(元文元)年
67才

真田幸道養子
真田信就 七男

1737(元文2)年
~1752(宝暦2)年
約16年間
真田信安
さなだ のぶやす
1714(正徳4)年
~1752(宝暦2)年
39才

真田信弘 四男

1752(宝暦2)年
~1798(寛政10)年
約47年間
真田幸弘
さなだ ゆきひろ
1740(元文5)年
~1815(文化12)年
76才

真田信安 長男

1798(寛政10)年
~1823(文政6)年
約26年間
真田幸専
さなだ ゆきたか
1770(明和7)年
~1828(文政11)年
59才

養子
井伊直幸 四男

1823(文政6)年
~1852(嘉永5)年
約30年間
真田幸貫
さなだ ゆきつら
1791(寛政3)年
~1852(嘉永5)年
62才年

養子
松平定信 次男

1852(嘉永5)年
~1866(慶応2)年
約15年間
真田幸教
さなだ ゆきのり
1835(天保6)年
~1869(明治2)年
35才年

真田幸良男子
(幸貫の孫)

10
1866(慶応2)年
~1871(明治4)年
約6年間
真田幸民
さなだ ゆきとも
1850(嘉永3)年
~1903(明治36)年
54才

養子
伊達宗城 次男

埴科真田歴代藩主

埴科藩は松代藩の支藩(分封藩)
支配期間 開始時期不詳~1647(正保4)年
廃藩後の領地は松代藩に統合
着退任年・在職期間
名前
生没年・享年
備考
初代
着任時期不詳
~1639(寛永16)年7月
在任期間不詳
真田信政
さなだ のぶまさ

1597(慶長2)年11月
~1658(明暦4)年2月5日
62才

母は正室小松殿
後に沼田4代、
松代真田2代

1639(寛永16)年7月頃
~1647(正保4)年2月23日
約17年7ヵ月
真田信重
さなだ のぶしげ
1599(慶長4)年~
1647(正保4)年2月23日
49才
母は小松殿
没後に後継者がいないため、埴科藩は松代藩に統合
真田氏歴代藩主(当主)系図

真田頼昌━幸隆(武田氏家臣として真田氏旧領を奪還、さらに吾妻郡まで勢力を拡大)━信綱━┓
                                           ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

┗━昌幸(継承した吾妻郡に加え、沼田周辺を平定。徳川氏家臣として小県郡を平定、上田城を築き上田藩主になる)━┓
                                                      ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

┗━┳<沼田藩>信之━信吉━熊の助=信政=信利
  ┃
  ┗<上田藩>信之━<松代藩>信之━信政━幸道─信弘━信安━幸弘─幸専─幸貫━幸教─幸民

※沼田藩は本来、信吉の家系で継承させるべきだが、熊之助が早世したため、信吉の二男信利が沼田5代藩主に就くまで4代藩主を務めた。
凡例:━実子 ─養子 =甥から叔父へ、そしてまた甥へ

真田氏は幸隆が武田氏の家臣になった以降より急速に力を持ち始め、出身地である真田(信濃国の東部に位置する小県郡の一部)を奪還、さらに上野国(現群馬県)の吾妻郡まで勢力を拡大した。
昌幸が家督を継いだ頃は吾妻郡の岩櫃城が真田氏の本拠地であったが、武田氏が滅亡した直後、その立地から真田氏は北条・徳川・上杉の三者から配下にはいるよう圧力を受けた。
昌幸は当初は沼田の領有権を保証した徳川氏の配下になり、小県郡を平定した。
昌幸は小県郡の拠点として上田城を築城し、自分は上田に移り住み、長男信之を沼田城主に任命し、親子2代と矢沢頼綱など優秀な家臣団の結束で山岳地帯の厳しい統治に挑んだ。
関ヶ原の合戦で西軍に与した昌幸が九度山に幽閉された後、東軍に与した信之が上田城に入った。
上田藩に本拠地を移した信之は、沼田藩を長男信吉に任せた。
上田藩主を約22年間務めた信之は幕府から松代藩への移封を言い渡され、松代藩10万石と沼田藩3万石の体制になる。
沼田藩は5代信利が悪政を幕府から厳しく咎められ改易、沼田藩は幕府領(天領)になった。
松代藩は養子縁組など経て、幕末まで藩政が行われ、その家系は現在まで続いている。

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