1553(天文22)年 4月22日
1578(天正6)年 3月
上杉氏内部の争乱。 上杉謙信が亡くなり、後継者を巡って謙信の姉の子で養子になった景勝と北条氏から養子に招いた景虎の間で起きた相続争い。 この時、上杉氏は北条氏と武田氏の介入を招き、謙信死後の上杉氏の勢力は弱まった。
徳川氏による真田氏討伐の合戦。 北条氏への沼田領譲渡を拒否した真田昌幸を討伐する為に徳川家康が鳥居彦左衛門や大久保忠世らを上田に出兵させたが、石川数正の出奔により徳川方は撤退。 この間に北条氏により沼田城が攻められたが、陥落せず。
1592(文禄元)年 ~1593(文禄2)年
豊臣秀吉による朝鮮出兵。 豊臣秀吉は名護屋城を拠点して、朝鮮半島に侵攻。 朝鮮半島にて、李氏朝鮮や朝鮮半島への日本進出を阻止したい明が日本軍の侵攻に対して抵抗。 朝鮮半島の一部を日本軍が占領した状態で、休戦。
第二次上田合戦 だいにじうえだがっせん