真田氏年表【室町時代】

真田氏に関しての総合的な年表を軽視際しています。真田氏を中心に、真田氏に影響を及ぼした大名達の行動も掲載しています。
この室町時代の年表の始まりは、本来の室町時代の始まりとは異なっており、終わりは歴史区分と同じで、足利氏が織田氏京から追放されまでとなっています。
凡例: …真田氏の出来事、…真田氏に関連した有力者の出来事、 …真田氏には直接関係ない出来事
月日
出来事
真田氏年齢
関連大名年齢
1400
応永7
9月
~10月
大塔合戦
村上頼清が率いる豪族連合が信濃守護である小笠原長秀を破る。豪族連合に実田氏(真田氏ことだという説が有力)が参加。
   
1441
嘉吉元
12月30日
結城合戦
真田源太・真田源五・真田源六が参加。
   
1501
文亀元
3月11日
村上義清 誕生
 
  村上義清 1才生
1513
永正10
 
真田幸隆 誕生
幸隆の名前については「幸綱」とする説が最近有力になっていますが、rokumonsen.comでは幸隆を採用している。
幸隆 1才生 村上義清13才
1515
永正12
 
北条氏康 誕生
 
  村上義清15才
北条氏康 1才生
1519
永正16
 
今川義元 誕生
 
  村上義清19才
今川義元 1才生
1521
大永元
11月3日
武田晴信 誕生
 
幸隆 9才 村上義清20才
北条氏康 7才
今川義元 3才
武田信玄 1才生
1530
享禄3
 
安智羅明神に真田幸隆の木像が奉納
この木像のモデルについては、真田幸隆説と真田信繁(真田幸村)説の2種類が、幸隆説が有力。
幸隆18才 村上義清30才
北条氏康16才
今川義元12才
武田信玄10才
上杉謙信 1才生
1月21日
上杉謙信(長尾景虎)誕生
 
1534
天文3
5月12日
織田信長 誕生
 
  村上義清34才
北条氏康20才
今川義元16才
武田信玄14才
上杉謙信 5才
織田信長 1才生
1535
天文4
 
武田信虎が諏訪頼継と和睦
 

 

幸隆23才

村上義清35才
北条氏康21才
今川義元17才
武田信玄15才
上杉謙信 6才
織田信長 2才

1537
天文6
 
真田信綱(真田幸隆 長男) 誕生
 
幸隆25才
信綱 1才生
村上義清37才
北条氏康23才
今川義元19才
武田信玄17才
上杉謙信 7才
織田信長 4才
豊臣秀吉 1才生
2月6日
豊臣秀吉 誕生
 
1538天文7  
北条氏政 誕生
 
幸隆26才
信綱 2才

村上義清38才
北条氏康24才
今川義元20才
武田信玄18才
上杉謙信 8才
織田信長 5才
豊臣秀吉 2才
北条氏政 1才生

1540
天文9
5月
武田信虎が佐久郡に侵攻し、諸城(北佐久郡)を攻略
 
幸隆28才
信綱 4才
村上義清40才
北条氏康26才
今川義元22才
武田信玄20才
上杉謙信11才
織田信長 7才
豊臣秀吉 4才
北条氏政 3才
11月
信虎の娘(晴信の妹)が諏訪頼重に嫁入り
武田氏と諏訪氏は親戚関係になる。
1541
天文10
5月
「海野平の合戦」
武田信虎・諏訪頼重・村上義清の連合軍が海野氏一族を破り、村上氏が小県郡と佐久地域を制圧。
海野氏の嫡子である海野幸義が戦死、大将である海野棟綱は没落。
真田氏一族は上州(上野)へ逃れ、箕輪城主である長野業正を頼る。
幸隆29才
信綱 5才
村上義清41才
北条氏康27才
今川義元23才
武田信玄21才
上杉謙信12才
織田信長 8才
豊臣秀吉 5才
北条氏政 4才
6月
信玄、父信虎を駿河国へ追放し、武田氏当主になる
武田信玄(晴信)は、父である武田信虎を駿河へ追放し、武田氏の当主になる。(信玄21才)
7月
海野棟綱は領地を奪還のため、上杉憲政らに出兵を要請
海野棟綱は領地を奪還するために、関東管領である上杉憲政らに出兵を要請。
これに対し、上杉氏は佐久や小県に出兵はしたものの、長尾・武田・村上の各氏と決定的な対立状態にしたくなかった。そのため、形式的な出陣となり成果は無かった。
真田氏にとって「真田」の領地を回復することは悲願であり、他力本願にならざるを得なかった真田氏にとって我慢の日々だった。
1542
天文11
7月
武田晴信は諏訪頼重を破り、諏訪を制圧
頼重は自害し、諏訪氏は滅亡。
幸隆30才
信綱 6才
村上義清42才
北条氏康28才
今川義元24才
武田信玄22才
上杉謙信13才
織田信長 9才
豊臣秀吉 6才
北条氏政 5才
徳川家康 1才生
12月
祢津元直の娘が武田晴信に嫁入り
武田氏と祢津氏は親戚関係になる。
12月26日
徳川家康 誕生
 
1543
天文12
 
真田昌輝(真田幸隆 二男)誕生
 
昌輝 1才生

村上義清43才
北条氏康29才
今川義元25才
武田信玄23才
上杉謙信14才
織田信長10才
豊臣秀吉 7才
北条氏政 6才
徳川家康 2才

1544
~45
天文13
~14
 
武田晴信(信玄)は上伊那と東筑摩方面に侵攻
信玄、信濃の広範囲な侵略を始める。
幸隆32才
~33才
信綱8才
~9才
昌輝2才
~3才

村上義清44才
北条氏康30才
今川義元26才
武田信玄24才
上杉謙信15才
織田信長11才
豊臣秀吉 8才
北条氏政 7才
徳川家康 3才

1544
~47
天文13
~16
 
この頃、真田幸隆と矢沢氏が武田晴信(信玄)の配下に入る
正確な時期は諸説あり断定できないが、この頃に旧海野一族を率いて真田幸隆は武田氏の配下に加わった。
ここから、真田一族の活躍が始まるのである。

 

幸隆32才
~35才
信綱8才
~11才
昌輝2才
~5才
村上義清44才
北条氏康30才
今川義元26才
武田信玄24才
上杉謙信15才
織田信長11才
豊臣秀吉 8才
北条氏政 7才
徳川家康 3才
1546
天文15
 
武田勝頼 誕生
 
幸隆34才
信綱10才
昌輝 4才
村上義清46才
北条氏康32才
今川義元28才
武田信玄26才
上杉謙信17才
織田信長13才
豊臣秀吉10才
北条氏政 9才
徳川家康 5才
武田勝頼 1才生
5月
武田晴信(信玄)が佐久郡にある内山城を攻略
幸隆はその先鋒を務めた。
1547
天文16
 
真田昌幸(真田幸隆 三男)誕生
 
幸隆35才
信綱11才
昌輝 5才
昌幸 1才生
信尹 1才生

村上義清47才
北条氏康33才
今川義元29才
武田信玄27才
上杉謙信18才
織田信長14才
豊臣秀吉11才
北条氏政10才
徳川家康 6才
武田勝頼 2才

 
真田信尹(真田幸隆 四男)誕生
 
 
武田晴信(信玄)が佐久郡の志賀城を攻略
武田氏による佐久での合戦で、幸隆は日常的に動員されていたと思われる。
この頃、幸隆は武田氏から岩尾城(長野県佐久市鳴瀬)の城主を任されていたこともある。
1548
天文17
2月14日
武田晴信(信玄)と村上義清による「上田原合戦」
真田幸隆は開戦前から武田方として村上氏攻略に武田方への投降を促すなど、武田氏家臣として根回しをした。
武田方と村上方は上田原で戦闘を繰り広げた。
幸隆の働きが実らず、武田方は大敗退。
晴信の重臣である板垣信方が戦死。
幸隆36才
信綱12才
昌輝 6才
昌幸 2才
信尹 2才
村上義清48才
北条氏康34才
今川義元30才
武田信玄28才
上杉謙信19才
織田信長15才
豊臣秀吉12才
北条氏政11才
徳川家康 7才
武田勝頼 3才
7月
武田氏の勢いが鈍っていると判断した小笠原氏を破る
武田氏が村上氏に大敗したことを切っ掛けにして、林城主の小笠原氏が諏訪に向けて進軍してきたが、武田氏は塩尻峠合戦でこれを破り、体制の立て直しに成功した。
12月
長尾景虎が家督を継ぐ
後に上杉謙信として信玄と張り合う景虎が長尾氏の家督を継いだ。
1549
天文18
3月
幸隆の名前を確認することできる最古の資料
武田晴信(信玄)が佐久の望月源三郎に所領を与えた文書が現在残っているが、そこにその時の使者として真田幸隆の名が文献に記されている。(これが幸隆の名前を確認することできる最古の資料。)
幸隆37才
信綱13才
昌輝 7才
昌幸 3才
信尹 3才
村上義清49才
北条氏康35才
今川義元31才
武田信玄29才
上杉謙信20才
織田信長16才
豊臣秀吉13才
北条氏政12才
徳川家康 8才
武田勝頼 4才
4月
晴信が佐久郡にある春日城を攻略
望月氏、伴野氏が武田氏の家臣になった。
9月
晴信が平原城を攻撃
佐久郡平定になお力を注ぐ。
1550
天文19
7月2日
幸隆、信玄から砥石城陥落達成後の恩賞を約束される
幸隆は、晴信(信玄)から「砥石城攻略が上手くいった時には小県郡にある諏訪形の地などを与える」と約束される
幸隆38才
信綱14才
昌輝 8才
昌幸 4才
信尹 4才

村上義清50才
北条氏康36才
今川義元32才
武田信玄30才
上杉謙信21才
織田信長17才
豊臣秀吉14才
北条氏政13才
徳川家康 9才
武田勝頼 5才

7月
武田晴信が林城を守る小笠原長時を破り松本平を制圧
小笠原氏を討伐した武田氏は村上包囲網を作り上げていった。
9月
砥石合戦が開戦
晴信が再び砥石城を攻める。
10月1日
砥石合戦でも晴信(信玄)は村上勢に再度敗れ退却
この戦いは「信玄の戸石崩れ」とも言われる。
1551
天文20
5月26日
真田幸隆は独力で村上氏の戸石城を攻略
幸隆は武田氏から諏訪形の地(上田)などを与えられる。
幸隆39才
信綱15才
昌輝 9才
昌幸 5才
信尹 5才
村上義清51才
北条氏康37才
今川義元33才
武田信玄31才
上杉謙信22才
織田信長18才
豊臣秀吉15才
北条氏政14才
徳川家康10才
武田勝頼 6才
7月
晴信が飯富虎昌と上原昌辰に信濃への出陣を命令
信玄はそのことを幸隆にも知らせる
1553
天文22
4月初頭
武田軍が松本経由で村上義清を攻め始める
松本平に残った反武田の残党の討伐に乗り出し、村上氏を東信方面から攻めるだけでなく、中信方面からも攻めていった。

幸隆41才
信綱17才
昌輝11才
昌幸 7才
信尹 7才

村上義清53才
北条氏康39才
今川義元35才
武田信玄33才
上杉謙信24才
織田信長20才
豊臣秀吉17才
北条氏政16才
徳川家康12才
武田勝頼 8才

4月9日
村上義清の葛尾城と塩田城が陥落
義清は長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼って越後へ逃れ、これが後に景虎が信濃に侵攻する理由になる。
これ以後、武田氏と村上氏の国境線を維持していた村上氏がいなくなったことで、武田晴信と長尾景虎(のちに上杉政虎、その後更に謙信と改名)による川中島の戦いが断続的に起こるようになる
4月22日
「第一次川中島合戦」武田、上杉の両軍が衝突
この日の戦いで武田軍は後退し、義清は領地を回復し、小県郡にある塩田城へ入る。
7月
~8月上旬
武田、和田城、高鳥屋城、内村城を次々と攻略。
信玄、東信地方の平定を目指す。
8月5日
武田、塩田城を攻略
村上義清は再び上杉氏のもとへ逃亡
小県郡は武田領となる。
8月10日
幸隆は、三男昌幸と四男信尹を、武田氏へ人質として出した
昌幸と信尹はこれより以降しばらく甲府にて暮らす。
昌幸は武田家ゆかりの武藤姓を与えられ武藤喜兵衛と名乗る。
信玄は人質のかわりとして、幸隆に小県の秋和の地を与える。
 
この頃、幸隆は念願の旧領復帰を果たす。
海野平合戦以来、12年ぶり。
9月
「第一次川中島合戦」終結
長尾景虎が川中島に出兵し、退却
信濃国と越後国の国境付近で長尾軍と武田軍の攻防が続く。
1554
天文23
 
この頃、武田晴信はほぼ信州一円を支配下に納めた
 

幸隆42才
信綱18才
昌輝12才
昌幸 8才
信尹 8才

村上義清54才
北条氏康40才
今川義元36才
武田信玄34才
上杉謙信25才
織田信長21才
豊臣秀吉18才
北条氏政17才
徳川家康13才
武田勝頼 9才
 
真田氏が本領である真田へ復帰
 
12月
武田信玄は娘を、北条氏康の嫡子である氏政に嫁がせた
これにより武田と北条の和睦が成立。
1555
弘治元
7月
「第二次川中島合戦」開戦
武田軍と長尾軍は4ヶ月間、対峙する。
幸隆43才
信綱19才
昌輝13才
昌幸 9才
信尹 9才

村上義清55才
北条氏康41才
今川義元37才
武田信玄35才
上杉謙信26才
織田信長22才
豊臣秀吉19才
北条氏政18才
徳川家康14才
武田勝頼10才

10月
「第二次川中島合戦」終結
武田軍と長尾軍は和睦して両軍が撤退した
1556
弘治2
9月8日
信玄が幸隆に松代東条にある雨飾(尼飾)城の攻略を促す
 
幸隆44才
信綱20才
昌輝14才
昌幸10才
信尹10才
村上義清56才
北条氏康42才
今川義元38才
武田信玄36才
上杉謙信27才
織田信長23才
豊臣秀吉20才
北条氏政19才
徳川家康15才
武田勝頼11才
 
幸隆が雨飾(尼飾)城を陥落させる
(陥落させた時期は定かではない。)
1557
弘治3
2月
武田軍が水内郡にある葛山城を攻略する。
 
幸隆45才
信綱21才
昌輝15才
昌幸11才
信尹11才

村上義清57才
北条氏康43才
今川義元39才
武田信玄37才
上杉謙信28才
織田信長24才
豊臣秀吉21才
北条氏政20才
徳川家康16才
武田勝頼12才

4月
「第三次川中島合戦」
武田軍と長尾軍は4ヶ月間、対峙する。
1558
永禄元
4月
幸隆、信玄から雨飾(尼飾)城の在番に命じられる
幸隆は小山田昌行とともに信玄から雨飾(尼飾)城の在番に命じられる
幸隆46才
信綱22才
昌輝16才
昌幸12才
信尹12才
村上義清58才
北条氏康44才
今川義元40才
武田信玄38才
上杉謙信29才
織田信長25才
豊臣秀吉22才
北条氏政21才
徳川家康17才
武田勝頼13才

1559
永禄2

 
将軍足利義輝から関東管領になることを許される。
この時、長尾景虎は京に約半年間滞在していたため、この期を逃すまいと武田氏は越後方面を攻めた。
幸隆47才
信綱23才
昌輝17才
昌幸13才
信尹13才

村上義清59才
北条氏康45才
今川義元41才
武田信玄39才
上杉謙信30才
織田信長26才
豊臣秀吉23才
北条氏政22才
徳川家康18才
武田勝頼14才

昌幸ら、関東管領になった謙信に祝いの太刀を送る
武田氏と上杉氏の間で微妙な立場であった海野・真田・祢津・室賀などの小県の諸侍は、それぞれの立場を守るために祝いの太刀を景虎へ送っている。
武田晴信は武田信玄と名乗り始める
武田晴信はこの頃、武田信玄に改名した。
1560
永禄3
5月19日
「桶狭間の戦い」
今川義元が織田信長との合戦で戦死。
(今川義元 享年42才)
幸隆48才
信綱24才
昌輝18才
昌幸14才
信尹14才
村上義清60才
北条氏康46才
今川義元42才没
武田信玄40才
上杉謙信31才
織田信長27才
豊臣秀吉24才
北条氏政23才
徳川家康19才
武田勝頼15才
 
海野一族の全てが武田氏や真田氏と完全合流が完了
石井棟喜や真田綱吉ら武田傘下に入っていなかった海野一族の一部が武田氏の家臣になり、この頃に海野一族の全てが武田氏や真田氏と完全に合流したものと思われる。
海野氏の居城である海野城(現在の東御市本海野白鳥台)の修築が行われ、幸隆も工事に協力した。
 
武田氏は松代城を築城
武田氏は、長尾氏との戦いのため、川中島の東南に松代城を建造した。
1561
永禄4
3月
長尾景虎(上杉謙信)は上杉を継ぎ関東管領職に就く
長尾景虎は北条氏康の小田原城を攻撃。
その後、鎌倉に入り上杉氏の家督を相続、名前を上杉政虎に改名、関東管領職に就いた。
幸隆49才
信綱25才
昌輝19才
昌幸15才
信尹15才
村上義清61才
北条氏康47才
武田信玄41才
上杉謙信32才
織田信長28才
豊臣秀吉25才
北条氏政24才
徳川家康20才
武田勝頼16才
9月21日
「第四次川中島合戦」
川中島合戦の中で最大の激戦である「八幡原の戦い」が武田軍と上杉軍の間に起こる。
幸隆も嫡子である信綱とともに参戦。
幸隆の三男である武藤喜兵衛(真田昌幸)も小姓として信玄と共に来ていた。
幸隆は山本勘助の啄木鳥(きつつき)作戦に従い、深夜になってから景虎がいる妻女山を背後から攻めた。
しかし、幸隆隊らが妻女山に着いた頃は上杉軍の姿はなく、幸隆隊らは慌てて山を下り始めた。
朝霧が晴れた時、両陣営は大変接近していたため、姿が見えた途端に合戦に発展しし、武田・上杉両軍による大規模な戦闘が始まった。
信玄の弟である信繁や軍師である山本勘助など重要人物が多数戦死。
激しい戦いだったが、決着はつかなかった。
11月
武田氏は国峰城(上野国)を攻略
武田氏は北関東への進出を始める。
12月
上杉政虎が上杉輝虎に改名
上杉政虎(上杉謙信)が将軍義輝から一字を拝領し、輝虎に改名する。
1562永禄5  
北条氏直 誕生
のちに北条氏5代当主になる氏直が誕生。
  北条氏直 1才生
1563
永禄6
9月
武田方による岩櫃城攻めが開始
真田幸隆は斎藤憲広が守る岩櫃城を攻撃。
この合戦には、昌幸の三男である武藤喜兵衛(のちの真田昌幸)も戦いに加わっている。

幸隆51才
信綱27才
昌輝21才
昌幸17才
信尹17才

村上義清63才
北条氏康49才
武田信玄43才
上杉謙信34才
織田信長30才
豊臣秀吉27才
北条氏政26才
徳川家康22才
武田勝頼18才
北条氏直 2才
10月
幸隆、岩櫃城を攻略
真田幸隆は斉藤憲広を破り、上州吾妻郡の要害である岩櫃城を攻略
この勝利で、幸隆は信玄に吾妻郡の守将を命ぜられる。
1564
永禄7
 
幸隆、長野原で長期滞在し、安定化を図る
このころ幸隆は海野、祢津らとともに長野原に布陣し、経略に務める
幸隆52才
信綱28才
昌輝22才
昌幸18才
信尹18才
村上義清64才
北条氏康50才
武田信玄44才
上杉謙信35才
織田信長31才
豊臣秀吉28才
北条氏政27才
徳川家康23才
武田勝頼19才
北条氏直 3才
3月
文献に「一徳斎」の名
この頃、幸隆は隠居し「一徳斎」に改名した。
幸隆、家督を長男信綱に譲る
幸隆が隠居したことで、真田氏の家督は信綱に継承された。
8月
「第五次川中島合戦」
1565
永禄8
9月
信玄、長男を謀反の疑いで幽閉
信玄は今川から正室を迎えた義信を謀反の疑いで幽閉
幸隆53才
信綱29才
昌輝23才
昌幸19才
信尹19才
村上義清65才
北条氏康51才
武田信玄45才
上杉謙信36才
織田信長32才
豊臣秀吉29才
北条氏政28才
徳川家康24才
武田勝頼20才
北条氏直 4才
11月
真田幸隆が上州吾妻郡の岳山(嶽山)城を攻略
岳山城主の池田氏は武田氏に服属。
1566
永禄9
 
昌幸の長男、真田信幸が生まれる
真田昌幸(武藤喜兵衛)の長男である真田信幸(真田信之)が生まれる。

幸隆54才
信綱30才
昌輝24才
昌幸20才
信尹20才
信之 1才生

村上義清66才
北条氏康52才
武田信46玄才
上杉謙信37才
織田信長33才
豊臣秀吉30才
北条氏政29才
徳川家康25才
武田勝頼21才
北条氏直 5才
8月
信玄が西上野最大の城である箕輪城を攻略
3年前の岩櫃城の攻略と合わせて、武田氏は関東西北部へ着々と領土を広げていった。
1567
永禄10
 
昌幸の二男、真田信繁(真田幸村)が生まれる
真田昌幸(武藤喜兵衛)の二男である真田信繁(真田幸村)が生まれる。
幸隆55才
信綱31才
昌輝25才
昌幸21才
信尹21才
信之 2才
信繁 1才生
村上義清67才
北条氏康53才
武田信玄47才
上杉謙信38才
織田信長34才
豊臣秀吉31才
北条氏政30才
徳川家康26才
武田勝頼22才
北条氏直 6才
3月
幸隆は上野国の白井城を攻略
上野国での領土を拡大
8月
信玄、生島足島神社に起請文を奉納
信玄、配下の将士に信玄への忠誠を誓わせる起請文を提出させ、生島足島神社(現在の長野県上田市)に奉納。
10月19日
信玄が幽閉させていた嫡子義信は幽閉先で自害
今川氏から嫁入りしていた義信の正室は駿河へ送り返される。
1568
永禄11
2月
武田氏、上杉氏の飯山城を攻撃
信玄自らも北信へ攻め込んで上杉氏の飯山城を攻める。
  村上義清68才
北条氏康54才
武田信玄48才
上杉謙信39才
織田信長35才
豊臣秀吉32才
北条氏政31才
徳川家康27才
武田勝頼23才
北条氏直 7才
1569
永禄12
 
足利氏、織田討伐を武田氏にも依頼

足利氏は織田氏が天下統一を目指して動いていることに危機感を感じて、反織田の大名に向けて織田討伐を打診する密書を送り、武田氏も密書が届いた。

幸隆57才
信綱33才
昌輝27才
昌幸23才
信尹23才
信之 4才
信繁 3才
村上義清69才
北条氏康55才
武田信玄49才
上杉謙信40才
織田信長36才
豊臣秀吉33才
北条氏政32才
徳川家康28才
武田勝頼24才
北条氏直 8才
10月6日
三増峠の戦い
幸隆の三男である武藤喜兵衛(のちの真田昌幸)も戦いに加わっている。
12月6日
信玄が駿河国の蒲原城を攻略する
信玄は蒲原城を攻略を幸隆(一徳斎)と信綱へ知らせている。
1570
元亀元
 
上杉輝虎は上杉謙信に改名
この頃、上杉輝虎は上杉謙信に改名した。
(昔はは長尾景虎と名乗っていた時期もあった。)
幸隆58才
信綱34才
昌輝28才
昌幸24才
信尹24才
信之 5才
信繁 4才
村上義清70才
北条氏康56才
武田信玄50才
上杉謙信41才
織田信長37才
豊臣秀吉34才
北条氏政33才
徳川家康29才
武田勝頼25才
北条氏直 9才
4月
信玄が高坂昌信に上野国のことは信綱に託すよう命令
信玄が高坂昌信(春日虎綱)に、上野国のことは信綱に託して、伊豆侵攻へ合流するよう命じる。
10月
家康、信玄と断交し、謙信と和を結ぶ
徳川家康は武田信玄と断交し、上杉謙信と同盟を結ぶ。
 
信玄、西上作戦を開始する
足利義昭の要請に応えて京を目指し、西方への侵攻を始める。
1571
元亀2
10月
北条氏康が病死
(北条氏康享年57才)
幸隆59才
信綱35才
昌輝29才
昌幸25才
信尹25才
信之 6才
信繁 5才
村上義清71才
北条氏康57才没
武田信玄51才
上杉謙信42才
織田信長38才
豊臣秀吉35才
北条氏政34才
徳川家康30才
武田勝頼26才
北条氏直10才
12月
北条氏は上杉氏と断交、再び武田氏と同名を結ぶ。
上杉氏との関係が悪化していた北条氏は武田氏と同盟を結んだ。
1572
元亀3
3月
幸隆が白井城(上州群馬郡)を攻略
幸隆は上杉謙信の重臣である上杉憲景の白井城(上州群馬郡)を攻略。
これを受けて信玄は幸隆に、箕輪城にて春日虎綱の指示を待つように命じる。
幸隆60才
信綱36才
昌輝30才
昌幸26才
信尹26才
信之 7才
信繁 6才

村上義清72才
武田信玄52才
上杉謙信43才
織田信長39才
豊臣秀吉36才
北条氏政35才
徳川家康31才
武田勝頼27才
北条氏直11才

12月
「三方ヶ原合戦」
遠江三方ヶ原の戦いで、信玄が織田・徳川連合軍を敗る
昌幸は足軽大将として騎馬15騎、足軽30人を引き連れ参戦
1573
元亀4
1月
信玄、家康を深追いせず、長篠城に入る
信玄は三河の野田城を攻略したのち、長篠城に入る
幸隆61才
信綱37才
昌輝31才
昌幸27才
信尹27才
信之 8才
信繁 7才

村上義清73才没
武田信玄53才没
上杉謙信44才
織田信長40才
豊臣秀吉37才
北条氏政36才
徳川家康32才
武田勝頼28才
北条氏直12才

1月1日
義清、越後で逝去
村上義清は越後の根知城で逝去。
(村上義清 享年73才)
3月
上杉方が白石城を攻略
幸隆は上野で上杉軍との攻防を続けた。
4月12日
信玄が伊那の駒場(現在の飯田市の南方)にて病死
(武田信玄 享年53才)
 
信玄の四男である勝頼が武田家を継ぐ
 
7月
織田信長は宇治槙島城に挙兵した足利義昭を攻め滅ぼす
これにより室町幕府は滅亡した。
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