有力者データベース 【あ行】

真田氏と関わりのあった武将を中心に、戦国期から幕末までの有力者を掲載しています。
真田・・・
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五十音順
明石氏 明智氏 浅井氏 朝倉氏 浅野氏 足利氏 蘆名氏 尼子氏 荒木氏 安国寺氏
井伊氏 伊木氏 池田氏 石川氏 石川氏 石田氏 板垣氏 板倉氏 一色氏 今川氏
岩城氏                  
上杉氏 宇喜多氏 宇田氏 海野氏
大内氏 正親町氏 大久保氏 太田氏 大谷氏 大友氏 大野氏 小笠原氏 奥平氏 織田氏
小野氏 小幡氏 小山田氏(郡内) 小山田氏          
あ
明石氏(あかし)

明石全登
あかし てるずみ

生没年不詳 享年不詳    
明智氏(あけち)
土岐成頼 生没年不詳 享年不詳   土岐氏8代美濃守護
子供:明智頼尚
明智頼尚 生没年不詳 享年不詳 土岐成頼
三男
子供:明智光継、明智頼明
明智光継
あけち みつつぐ
生没年不詳 享年不詳 明智頼尚
男子

別名:頼典、十兵衛尉
子供:長男…明智光綱、次男…山岸光信、三男 …遠山景行(明智光安)、四男…小里光忠(明智光久)、五男…原頼房、六男…明智光廉(三宅長閑斉)、長女…小見の方、次女…斉藤利賢の妻(後に石谷光政の妻)

明智光綱
あけち みつつな
1505(永正2)頃
~1538(天文7)年頃
明智光継
長男
子供:明智光秀
山岸光信   明智光継
次男
 
遠山景行   明智光継
三男

別名:明智光安、入道宗宿(宗叔)
妻:三宅高貞(三河広瀬城主)の娘
子供:男子…明智秀満、男子…遠山利景、女子…小里光次の妻
明知城主(遠山氏を継いで、遠山姓に改名)

小里光忠
  明智光継
四男
別名:明智光久
原頼房   明智光継
五男
 
明智光廉
  明智光継
六男
別名:三宅長閑斉
小見の方   明智光継
長女
夫:斎藤道三(正室として)
子供:濃
斉藤利賢の妻   明智光継
次女
後に石谷光政の妻
明智光秀
あけち みつひで
1528(享禄元)年
~1582(天正10)年6月13日
明智光綱
男子
別名:桃丸、十兵衛
斎藤道三の家臣(道三と子義龍の争いで敗れた道三方に味方していたため、明智城が陥落し一族が離散し、浪人に。)
足利将軍家の家臣
朝倉氏(越前国)の家臣
織田氏家臣
       

明智頼明
あけち よりあき

  明智頼尚
男子
兄:明智光継
子供:明智定明
兄である明智光綱が身内を殺めたことで家督相続権を奪われたため、土岐明智本家の家督は頼明が継いだ。
明智定明
あけち さだあき
  明智頼明
男子
別名:土岐定明
子供:土岐定政
土岐定政
とき さだまさ
1551(天文20)年
~1597(慶長2)年3月3日
明智定明
男子
別名:明智定政
「土岐」姓に1593年復帰
妻:鳥居元忠の娘
子供:土岐定義、直子(本多成重の妻)
土岐定義
とき さだよし
1580(天正8)年
~1619(元和5)年1月8日
土岐定政
男子
別名:山城守
母:鳥居元忠の娘

徳川方として第二次上田合戦に参戦
       
明智秀満
あけち ひでみつ
1536(天文5)年頃
~1582(天正10)年6月15日
享年47才
(生年は1557年説有り、この場合は享年26才)
遠山景行(明智光安)
男子

別名:遠山景玄、六郎左衛門、三宅弥平次(母の実家を継いだ時)、明智秀満(光秀の娘婿になった時)
母:三宅高貞(三河広瀬城主)の娘
子供:長男…遠山一行
明智光秀の重臣
明知城12代城主
明智秀満が南光坊天海である説が最近では有力視されている。

南光坊天海
なんこうぼう てんかい
1536(天文5)年頃
~1643(寛永20)年10月2日
享年108才
  天台宗
大僧正
徳川家康、秀忠、家光の参謀
南光坊天海は明智秀満である説が最近では有力視されている。
遠山利景
とおやま としかげ
1540(天文9)年
1612(慶長17)
遠山景行(明智光安)
男子
母:三宅高貞(三河広瀬城主)の娘
兄:明智秀満
正室:慈正院(鈴木滋直(三河足助城主)の娘)
旗本遠山氏(明知遠山)の初代
       
遠山景元
とおやま かげもと
1793(寛政5)年8月23日
~1855(安政2)年2月29日
遠山景晋
男子
別名:金四郎
幕府旗本(遠山利景に始まる遠山氏の分家)
江戸北町奉行、大目付、江戸南町奉行
父である遠山景晋(とおやま かげくに)は長崎奉行
時代劇に登場する「遠山の金さん」のモデルだが、金さんは全くフィクション
浅井氏(あざい)
浅井 久政
あざい ひさまさ
1526(大永6)年
~1573(天正元)年8月27日
浅井亮政
男子
 
浅井長政
あざい ながまさ
1545(天文14)年
~1573(天正元)年9月1日
浅井久政
男子

別名:新九郎
母:井口氏の娘
正室:市(織田信長の妹)

浅井万福丸
あざい まんぷくまる
1564(永禄7)年?
~1573(天正元)年
浅井長政
長男
母:市(織田信秀の娘、信長の妹)
淀殿
よどどの
豊臣氏を参照 浅井長政
長女
別名:茶々
母:市(織田信秀の娘、信長の妹)
豊臣秀吉の側室
常高院
じょうこういん
1570(永禄13)年?
~1633(寛永10)年8月27日
浅井長政
二女
別名、初、お初
母:市(織田信秀の娘、信長の妹)
京極高次の正室

於江与
おえよ

徳川氏(将軍家)を参照 浅井長政
三女

別名:お江与、お江、達子、崇源院
母:市(織田信秀の娘、信長の妹)
佐治一成、豊臣秀勝、徳川秀忠の正室(計3回結婚)

京極マリア
きょうごく まりあ
京極氏を参照 浅井久政
女子
別名:慶
朝倉氏(あさくら)
朝倉義景
あさくら よしかげ
     
浅野氏(あさの)
浅野長晟
あさの ながあきら
     
足利氏(あしかが)
足利義昭
あしかが よしあき
     
蘆名氏(あしな)
蘆名盛重
あしな もりしげ
     
尼子氏(あまご)
尼子経久
あまご つねひさ
     
荒木氏(あらき)
荒木村重
あらき むらしげ
     
安国寺氏(あんこくじ)
安国寺恵瓊
あんこくじ えけい
    安芸武田氏(甲斐武田氏と遠い親戚)
い
井伊氏(いい)
井伊直親
いい なおちか
1535(天文4)年
~1562(永禄5)年
井伊直満
男子
養父:井伊信濃守直盛
井伊直政
いい なおまさ
1561(永禄4)年2月19日
~1602(慶長7)年2月1日
井伊直親
男子
彦根井伊初代
別名:虎松、万千代
徳川四天王の1人
井伊直勝
いい なおかつ
1590(天正18)年
~1662(寛文2)年7月11日
井伊直政
長男
安中井伊初代
別名:直継
井伊直孝
いい なおたか
1590(天正18)年2月11日
~1659(万治元)年6月28日
井伊直政
次男
彦根井伊2代
井伊直幸
いい なおひで
1729(享保14)年7月21日
~1789(寛政元)年2月26日
井伊直惟
男子
彦根井伊12代
四男は真田氏へ養子に出し真田幸専
真田幸専は松代7代藩主
井伊直弼
いい なおすけ
1815(文化12)年10月29日
~1860(安政7)年3月3日
井伊直中
十四男
彦根井伊15代
江戸幕府大老
伊木氏(いき)
伊木遠雄
いき とおかつ
1567(永禄10)年
~1615(慶長20)年
49才
  別名:伊木遠勝
池田氏(いけだ)
池田恒興
いけだ つねおき
1536(天文5)年
1584(天正12)年4月9日
池田恒利
男子
別名:勝三郎
滝川一益とは従兄弟の関係
池田輝政
いけだ てるまさ
1565(永禄7)年12月29日
~1613(慶長18)年1月25日
池田恒興
二男
別名:三左衛門
石川氏(いしかわ)
石川数正
いしかわ かずまさ
1533(天文2)年
~1592(天正20)年
石川康正
男子
松本石川初代

石川康長
いしかわ やすなが

1554(天文23)年?
~1643(寛永19)年12月11日
石川数正
長男

松本石川2代
別名:三長

石川康勝
いしかわ やすかつ
生年不詳
~1615(慶長20)年5月7日
石川数正
二男
大坂の役で豊臣方
石川氏
石川光吉
いしかわ みつよし
   

別名:貞清
正室:真田信繁(幸村)の七女かね

石田氏(いしだ)

石田三成
いしだ みつなり

1560(永禄3)年5月
~1600(慶長5)年10月1日
41才
石田正継
二男
 
板垣氏(いたがき)
板垣信方
いたがき のぶかた
生年不詳
~1548(天文17)年2月14日
  武田二十四将の1人
別名:信形、駿河守
上田原合戦で戦死
板倉氏(いたくら)
板倉好重     子供:板倉勝重、板倉定重
板倉勝重
いたくら かつしげ
1545(天文14)
~1624(寛永元)年4月29日

板倉好重
男子

別名:四郎右衛門、伊賀守
母:本多光重の娘
京都所司代
春日の局を家光の乳母に推挙
反キリスト教派
子供:板倉重宗、板倉重昌

板倉定重
いたくらさだしげ
  板倉好重
男子
板倉勝重の弟
板倉重宗
いたくら しげむね
1586(天正14)年
~1657(明暦2)年12月1日
板倉勝重
長男
別名:周防守
京都所司代
下総国関宿藩主
板倉重昌
いたくら しげまさ
1588(天正16)年
~1638(寛永15)年1月1日
板倉勝重
男子
徳川家康の近習出頭人
三河国深溝藩藩主
島原の乱で幕府方の大将(戦死)
板倉重宗の弟
子供:板倉重矩

板倉重矩
いたくら しげのり

1617(元和3)年
~1673(寛文13年5月29日
板倉重昌
男子

京都所司代
別名:主水佑(もんどのじょう)、内膳正(ないぜんのかみ)

一色氏(いっしき)
一色秀勝
いっしきひでかつ
    室町幕府13代将軍 足利義輝の家臣
子供:金地院崇伝
金地院崇伝
こんちいん すうでん
1569年(永禄12年)
~1633(寛永10)年1月20日
一色秀勝
二男
別名:以心崇伝
徳川家康の参謀
臨済宗南禅寺派大本山270世住職
今川氏(いまがわ)
今川義元
いまがわ よしもと
     
岩城氏
岩城宣隆
いわき のぶかた
(多賀谷宣家)
(たがや のぶいえ)
1584(天正12)年~
1672(寛文12)年8月27日
享年89才
 

真田氏の親戚
佐竹義重の四男
正室(後妻):真田信繁(幸村)の五女

多賀谷氏の養子になった後、
本家である久保田藩(秋田藩)の佐竹氏の嫡子が空席になった事に伴う佐竹氏内部の組織再編により、宣隆の一家は丸ごと岩城氏として亀田藩を治める事になり、桧山を離れ移り住みました。

岩城重隆
いわき しげたか
    岩城宣隆の長男
母:岩城宣隆の正室 (信繁の五女)
う
上杉氏(うえすぎ)
上杉謙信
うえすぎ けんしん
     
上杉景勝
うえすぎ かげかつ
     
宇喜多氏(うきた)
宇喜多直家
うきた なおいえ
     
宇喜多秀家
うきた ひでいえ
     
宇田氏(うだ)
宇田頼次
うだ よりつぐ
  真田昌幸の五女(名前不詳)の嫁ぎ先
海野氏(うんの)

海野棟綱
うんの むねつな

     
海野幸義
うんの ゆきよし
  海野棟綱
嫡子
 
え
       
お
大内氏(おおうち)
大内義隆
おおうち よしたか
     
正親町氏(おおぎまち)
正親町実彦
おおぎまち さねひこ

1548(天文17)年~
1612(慶長17)年
65才

 

公家
武田信玄とともに真田昌幸と山手の結婚の世話をした。

大久保氏(おおくぼ)
大久保忠員
おおくぼ ただかず
1511(永正8)年
~1582(天正10)年
72才
大久保忠茂
三男
徳川氏重臣
大久保忠世
おおくぼ ただよ
1532(天文元)年
~1594(文禄3)9月15日
63才
大久保忠員
長男
徳川氏重臣
大久保本家
大久保忠佐
おおくぼ ただすけ
1537(天文6)年
~1613(慶長18)年9月27日
77才
大久保忠員
男子
徳川氏重臣
嫡子無く死去後は改易
大久保忠教
おおくぼ ただたか
1560(永禄3年)年
~1639(寛永16)年2月29日
80才
大久保忠員
八男
徳川氏重臣
別名:大久保彦左衛門
兄忠世とは異母兄弟
「三河物語」著者
大久保忠隣
おおくぼ ただちか
1553(天文22)年
~1628(寛永5)年6月27日
76才
大久保忠世
三男

徳川氏重臣
大久保本家
大久保忠教(彦左衛門)の甥
大久保長安事件により失脚

太田氏(おおた)
太田道灌
おおた どうかん
     
大谷氏(おおたに)
大谷吉継(吉隆)
おおたに よしつぐ

  真田信繁の正室「利世(竹林院)」の実家です。
大谷吉治
おおたに よしはる
1581(天正9)年)?
~1615(慶長20)年5月7日
大谷吉継
嫡子
別名:大学助
大坂夏の陣で真田信繁(幸村)隊として戦死
大友氏(おおとも)
大友宗麟
おおとも そうりん
1530(享禄3)年1月3日
~1587(天正15)年5月6日
大友義鑑
男子
別名:大友義鎮(おおとも よししげ)
洗礼名:ドン・フランシスコ
大伴氏21代当主
キリシタン大名
大野氏(おおの)
大野治長
おおの はるなが
生年不詳~1615(慶長20)年    
大野治房
おおの はるふさ
生年不詳~1615(慶長20)年 大野治長の弟  
大野治胤
おおの はるたね
     
小笠原氏(おがさわら)
小笠原長棟
おがさわら ながむね
1492(明応元)年
~1542(天文11)年

小笠原貞朝
男子

 
小笠原長時
おがさわら ながとき
1514(永正11)年10月23日
~1583(天正11)年2月25日
小笠原長棟
男子
 
小笠原貞慶
おがさわら さだよし
1546(天文15)年8月12日
~1595(文禄4)年5月10日
小笠原長時
三男
 
小笠原秀政
おがさわら ひでまさ
1569(永禄12)年3月21日
~1615年(慶長20)年5月7日
小笠原貞慶
男子
大坂夏の陣で徳川方、長男忠脩と共に戦死
小笠原忠脩
おがさわら ただなが
1594(文禄3年)
~1615(慶長20)年5月7日
小笠原秀政
長男
大坂夏の陣で徳川方、父秀政と共に戦死

小笠原忠真
おがさわら ただざね

1596(慶長元)年2月28日
~1667(寛文7年10月18日
小笠原秀政
二男
兄忠脩が戦死し、忠脩の嫡子が幼少だったた め家督を相続
奥平氏(おくだいら)
奥平信昌
おくだいら のぶまさ
1555(弘治元)年
~1615(慶長20)年3月14日
奥平貞能
長男
長篠合戦で織田方として長篠城に籠城
加納奥平初代
別名:貞昌
正室:亀(徳川家康の長女)
奥平忠政
おくだいら ただまさ
1580(天正8年)
~1614(慶長19)年7月2日

奥平信昌
三男

加納奥平2代
織田氏(おだ)
織田信定
おだのぶさだ
生年不詳
~1538(天文7)年?
織田良信?
織田敏定?
男子
 
織田信秀
おだ のぶひで
1510(永正7)年?
~1551(天文20)年3月3日?
織田信定
男子
別名:三郎
織田信長
おだ のぶなが
1534(天文3)年5月12日
~1582(天正10年6月2日
織田信秀
男子(嫡子)
別名:吉法師、三郎
母:土田氏

のう
1535(天文4)年?
~1612(慶長17)年7月9日
斎藤道三
女子
夫:織田信長(正室として)
母:小見(明智光継の娘)
別名:帰蝶
吉乃
きつの
1528(享禄元)年?
~1566(永禄9)年5月13日?
生駒家宗
女子
夫:織田信長(側室として)
別名:生駒吉乃
子供:織田信忠・織田信雄・徳姫(見星院)
織田信忠
おだ のぶただ
1557(弘治3)年
~1582(天正10)年6月2日
織田信長
長男
母は吉乃
別名:奇妙丸、勘九郎信重
織田信雄
おだ のぶかつ
1558(永禄元)年
~1630(寛永7)年4月30日
織田信長
二男
別名:茶筅丸、御本所、常真
母:吉乃
織田信孝
おだ のぶたか
1558(永禄元)年
~1583(天正11)年
織田信長
三男

母は織田信長の側室である坂氏


とく
1559(永禄2年10月12日
~1636(寛永13年1月10日
織田信長
長女

別名:五徳、尾張御新造さま、岡崎殿、見星院
松平信康の正室
母:吉乃
子供:登久(小笠原秀政の妻)、熊(本多忠政の妻)


えい
1574(天正2)年
~1623(元和9)年2月24日
織田信長
四女

別名:玉泉院
前田利長の正室

三の丸殿
さんのまるどの
生年不詳
~1603(慶長8)年2月5日
織田信長
五女
豊臣秀吉の側室、二条昭実の妻
       
織田信行
おだ のぶゆき
1536(天文5)年?
~1557(弘治3)年11月2日
織田信秀
男子
別名:信勝、達成、信成
母:土田氏
織田信長の弟
織田信包
おだ のぶかね
1543(天文12)年
~1614(慶長19)年7月17日
織田信秀
五男
別名:三十郎、信良、信兼、老犬斎
織田長益
おだ ながます
1547(天文16)年
~1622(元和7)年12月13日
織田信秀
男子(末子)
別名:源五(源五郎)、有楽斎如庵(有樂齋如庵)、織田有楽、織田有楽斎

いち
1547(天文16)年
~1583(天正11)年4月24日
織田信秀
女子
別名:お市、お市の方、小谷の方
母:織田信秀の側室
織田信長の妹
夫:(初)浅井長政(正室として)、(後)柴田勝家(正室として)
子供:淀殿、常高院、江与
小野氏(おの)
小野忠明
おの ただあき
1569(永禄12)年
~1628(寛永5)年11月7日
神子上重
男子
別名:御子神典膳(みこがみ てんぜん)、次郎右衛門
母:小野氏
徳川秀忠の剣術指南役
上田七本槍の1人
小野派一刀流の創始者(否定説有り)
小幡氏(おばた)
小幡虎盛
おばた とらもり
    武田氏家臣
武田二十四将
小幡昌盛
おばた まさもり
  小幡虎盛
男子
武田氏家臣
小幡景憲
おばた かげのり
1572(元亀3)年
~1663(寛文3)年2月25日
92才
小幡昌盛
男子
武田氏滅亡後は牢人(浪人)
小山田氏(郡内小山田氏)(おやまだ(ぐんない))

小山田信有
おやまだ のぶあり

1488(長享2)年
~1541(天文10)年

小山田信隆
男子

別名:越中守
小山田信有
おやまだ のぶあり
1519(永正16)年
~1552(天文21)年
小山田信有
男子
別名:出羽守

小山田信茂
おやまだ のぶしげ

1539(天文8)年
~1582(天正10)年3月24日
小山田信有
長男
 
小山田氏(おやまだ)
小山田昌辰
おやまだ まさとき
生年不詳~
1552(天文21)年
   
小山田昌行
おやまだ まさゆき
生年不詳
~1582(天正10)年
小山田昌辰
長男
 

小山田茂誠
おやまだ しげよし

    真田昌幸五女と結婚
松代藩を脱藩した常田氏が小山田氏の家臣になる。(この時、常田氏の一部は松代に残る。)
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