有力者データベース 【や行】

真田氏と関わりのあった武将を中心にした、戦国期から幕末までの有力者のデータベースです。
真田・・・
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五十音順
柳沢氏 山県氏 山内氏 山本氏
や
柳沢氏
柳沢吉保
やなぎさわ よしやす
1658(万治元)年12月8日
~1714(正徳4)年11月2日
57才
柳沢安忠
男子
 
山県氏
山県昌景
やまがた まさかげ
1529(享禄2)年
~1575(天正3)年5月21日
47才
  武田四名臣の1人
武田二十四将の1人
別名:源四郎、三郎兵衛尉
飯富虎昌の実弟
山内氏
山内盛豊
やまうち もりとよ
    尾張国岩倉城主織田信安の家臣
山内一豊
やまうち かつとよ
(やまうち かずとよ)
1545(天文14)年
(1546(天文15)年)
~1605(慶長10)年9月20日
60才(59才)
山内盛豊
長男
辰之助、猪右衛門、伊右衛門
法号:大通院殿心峯宗伝大居士
父:山内盛豊
母:法秀尼
正室:見性院(千代)
子供:長女:与禰、養子:湘南宗化、養子:山内忠義(弟康豊の長男)
土佐初代藩主
山内康豊
やまうち やすとよ
1549(天文18)
~1625(寛永2)年8月29日
77才
山内盛豊
三男
山内一豊の同母弟
別名:家豊、匠作、吉助、次郎右衛門、修理亮
正室:長井氏、水野氏
1601(慶長6)年6月、康豊は土佐藩内に支藩(分封藩)である中村藩2万石を一豊から与えられる。
1605年、山内一豊が死去したため、一豊の養子になっていた康豊の長男忠義が土佐藩の家督を相続する。
家督を継いだばかりの忠義は若年であったため、康豊が約2年の間、後見人として忠義の補佐をした。
康豊系の家督は次男政豊が家督を継いだ。
山内忠義
やまうち ただよし
1592(文禄元)年
~1665(寛文4)年11月24日
74才
山内康豊
長男
別名:国松
法号:竹巌院龍山雲公
山内一豊の養嗣子
妻:正室…光照院(阿姫)、側室…園地宗朝女子
子供:山内忠豊、山内忠直、ほか
土佐2代藩主
光照院 1595(文禄4)
~1632(寛永9)年
38才

山内忠義
正室

松平定勝
女子

別名:阿姫
実夫:松平定勝
義父:徳川家康
松平(久松)氏
夫:山内忠義

山内忠豊
やまうち ただとよ
1609(慶長14)年10月29日
~1669(寛文9)年8月5日
61才
山内忠義
男子
別名:国松(幼名)、猪右衛門、伊右衛門
母:光照院(阿姫)
妻:正室…長光院(池田利隆女子)
子供:長男…山内豊昌、女子…ふう(本多政長室)、女子…松(真田信直室)、女子…椎(山内一輝室)など
土佐3代藩主
沼田5代藩主真田信利の正室松の父
長光院
ちょうこういん
 

山内忠豊
正室

池田利隆
女子

別名:長姫
祖父:池田輝政(播磨姫路初代)
父:池田利隆(播磨姫路2代)

まつ
生没年不詳
享年不詳
山内忠豊
女子
母:長光院
沼田真田藩真田信吉の二男信利に正室として嫁ぐ。
[B5]真田信利一家
山本氏

山本勘助
やまもと かんすけ

生没年不詳    
ゆ
       
よ
       
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