長篠合戦 設楽原決戦場跡(設楽原古戦場)
プロフィール
読み仮名
ながしのがっせん したらがはらけっせんじょうあと(したらがはらこせんじょう)
別名
長篠古戦場、長野の合戦、長篠の戦い、設楽原合戦、設楽原の戦い
所在地
愛知県新城市竹広付近
遺構
 
区分
 
備考
 
経歴

設楽原は長篠合戦の主戦場になったところで、現在は馬防柵が再現されています。

1575(天正3)年、織田方(織田徳川連合軍)と武田方がこの長篠で合戦を行いました。
この頃、真田氏は幸隆が亡くなった跡で、真田信綱が当主になっていました。
信綱と信綱の弟である昌輝は、武田陣営の右翼に加わりました。
武田方の騎馬隊に対し、織田方は鉄砲の欠点を克服する新しい先鋒を用いて、これを迎え撃ちました。
信綱と昌輝は討ち死にし、信綱の首は白川氏の兄弟によって真田へ持ち帰られました。

少し離れた神社の近くに1つに真田兄弟2人の名前が書かれた墓があります。

 

トップ真田氏史跡探訪真田氏史跡リスト中部地方愛知県新城市>長篠合戦 設楽原決戦場跡(設楽原古戦場)
 
copyright (C) 2000-2007 rokumonsen.com All right reserved.
サイトインフォメーション rokumonsen.com トップページ 真田氏史跡探訪 トップページ 史跡リスト 真田氏イベントガイド 周辺観光情報 交通ガイド 天気ガイド 桜ガイド 史跡マップ sanada-maru.com